目が覚めた。天井が異様に白い。ここはどこだ。薬品の匂いが鼻につく。ああ医務室かと、理解に及ぶ。
そうとわかった途端視界がぐっと広がり。ふと自分以外の存在に気付いたが確認するより早く声を掛けられた。

「あ、目が覚めたのね」

ひょっこりと、目立つ赤の髪が目の端に割り込む。
確か満月の夜で、いつものように例の館で皆と過ごして、夜が明けた…所までは覚えてるんだが。

「何でこんなとこにいんだ」
「覚えてないんだ?3人に引きずられて来たもんねえ。夜明けとともに倒れたらしーわよ、シリウス」

そうだったのかと。全然覚えてねーと腕を上げれば妙にだるい。半身を起こしてみれば、必ず月一で負う生傷が痛む以上に、頭がぼうっとする。額に乗せられていたらしい濡れタオルが重力に逆らわず、ぼとっと落ちたのを見送って、
そういや満月の前に熱出したんだよなと思い出した。

「俺どんぐらい寝てた?」
「半日近いわね。もう夕方だから」
「他の奴らは」
「部屋で安静にしてろってずいぶん前にマダムに追い返されたわよ。あ、ちなみに今マダムは出張中」
で、なぜか代わりにリリーが居ると(なぜというよか、いかにもお節介なこいつらしいが)、ついでにジェームズに妬まれそうだとひっそり苦笑したが、それより。

「リーマス気にしてるだろうな」
「て言って、気にするリーマスをさらに気にするのよね」
「…いや。何だよ」
「つまりはだいじょーぶ、って事よ」
そう根拠のわからない請け合いをして朗らかに笑ったリリーは、寝ろと言って落ちたタオルを手に取る。

「…気分じゃない。つーかもう部屋戻るわ」
「だめに決まってんでしょーが。あんたが目覚ました事は後で伝えとくから」
──ああ、それとも、と言い募る。
「人恋しいんなら寝れるまで、子守唄歌ってあげよっか?」

いらねーし、と断り申し上げる前に何を思ったか「ねーんねんこーろり〜」と恥ずかしげもなく歌いだされて。へたくそと感想を述べれば頭をはたかれた。

「仮にも病人なんすけど」
「バカは風邪引かないってゆーのは嘘だったみたいねー」
「そりゃー悪かったな」
「ほんとは薬飲めばすぐ治せるんだけど。傷に障るから無理らしいのよ」
「あの耳からものっそい煙出るやつならどのみち勘弁」
確かにそーだわ、でもシリウスなら似合うんじゃない、と失礼な事を笑いながら言い置いて、リリーはどこかに姿を消す。
俺はといえば自分が倒れたらしいという事実に。
何となく引け目、のような気分が拭い去れず。
未練がましくもそのまま起き続けて。

「なんだまだ寝てないの?」
「まだ居たのかよ」
「ずっと居るわよ。まったく、しゃーないわねぇ」
肩をすくめながら苦笑をし、タオルを浸すためのバケツを運ぶリリー。その姿が妙にたくましい。
実際、リーマスはじめアニメーガスのことを知っても、さほど驚かず、男なら痛がるんじゃないわよと毎度看病に付き添うリリーは、たくましい女だと思えた。


「あ、そーいえばりんごがあるんだけど。食べる?のど渇いてるでしょう。摺っとこうか」

ふと、りんごの皮を剥き出したリリーをつくづくお節介な奴だなとどんだけ物好きなんだと何とはなし俺は見遣って。



そしてなぜか唐突にある感情に捕らえられた。



朱い陽の、白い肌に指す横顔が。その立ち姿もそれらを包む空気も全て。やたら懐かしい気がして、既視感?入りまじるノスタルジィ。その強い感覚に、覚えなどはないはずが。


唐突すぎる事に、むしろ自分自身でひどく戸惑う。


「色変わる前に食べてよね」

そう言って何も知らずリリーは小さな深皿を置き。その場をすぐ離れようとする細く白い手首を俺は咄嗟に、無意識のうちにつかんだ。

ほてった手にひんやりとした感覚が伝わってきて、それがひどく心地良い。


「どうかしたの?」


思えば、たかが風邪で、いちいち付き添ってくれる名医とかゆーのも、神経質に見舞ってくれる女中も高級な薬なんかもいらなかったし。
小さな頃、それが全てな世界の中で、幼心にも抱いていた漠然とした違和感とゆーのがあって。


「…シリウス?」


ひょっとしなくとも。
ずっと欲しかったものが、今ここにあるんではと。


──思えば、その細い手を引き寄せて抱きとめたくなる衝動にかられる、のを。





ぎりぎりの所で押さえつけた。





「ちょっと──」


俺は訝しげな顔をしているリリーの表情を見上げる。



「おまえ、あっち行け」



そうして掴んでいた腕を思い切り突き放した。



「──なっ…!ちょっとなん」
「俺は寝るから」


それもこれも、全ては忘れていた幼い頃の事であって、関係ない事だ。


「おまえもー帰れ」








リリーは納得がいかないという顔をしながらも。
多くは聞かずに、医務室を出て行く。



「じょーだん──」



思わず笑いが漏れた。
この動悸も目眩に似た戸惑いもおそらくは熱のせいであって、それ以外の何物でもない。あってたまるかと思う。


俺はリリーが残していったりんごの皿さえも視界から締め出すように。
きつく、目を閉じた。

きつく。