することもないので、何となく気まぐれに図書館に詰めている岬について来た。
真面目ちゃんを絵に描いたような岬は、分厚い本を積み上げて飽くことなく熱心にそれらに読みふけっている。何の本なのかは、案の定とでも言うべきか、植物の本だらけで。
それそのものには全く興味がない鳴海は、まるで猫のように、岬が読んでいる本に限って身を乗り出して腕を乗せたりして、邪魔をしては嫌がる岬の反応を愉しんでいた。

「なんでいちいち、読んでるやつに手をのせるんだ」
「え〜、面白いから?」
「…なにが面白いんだ」
「そりゃ岬チャンの反応が」

おまえなあ、と溜め息混じりに抗議しようとする岬の手を取ると、触れるか触れないか位の微かさで、意味ありげにつつつ、と指をなぞらせていく。
ぞわぞわと沸き上がる感覚に堪えきれなくて、顔を赤くしたり青くしたりしながら、岬は鳴海の手を力一杯に払った。

「お、おま、一体何の真似──」
「岬チャンって感度いいよね。キミが女なら男がこぞって夢中になるレベル」

男のくせに妖艶に、口の端を上げて笑む鳴海を、いよいよ顔の色を無くして岬は見た。
そうやっていちいち反応するところが面白くて遊ばれることに、岬はいつまでたっても無自覚だ。
反応が面白い、という意味では、岬以上に鳴海の関心を集めるもう1人が存在するが、残念ながら今この場には居ない。
というわけで、そんな岬の隙をついて、おもむろに手元の本を引ったくると、これ見よがしにひらひらページを泳がせてみせた。

「へえ〜何を真剣に見てるのかと思えば花言葉?そんなロマンチックなタチだとは知らなかった」
「──な…!」

からかうような口調にそこはかとない羞恥心が昇ったのか、むっとした感情を露わにして岬は言い募った。

「花言葉は、その特質に基づく意味を含ませて、それぞれふさわしい象徴的な意味を持たせている。起源も古いし、意思を伝えることにも用いられてきた」

そんな学術的見地にはまるで興味のない鳴海は懸命な岬とは相反して、ふーんと話半分で気のない返事をした。
辛うじて聞いていた半分で、返す言葉は明らかに、冷やかすように面白がっている。

「意思ねー。なに、花でも送って誰かに愛の告白でもしちゃうわけ」
「…!ちが──」

口をぱくぱくさせる岬に、今時流行んないからやめた方がいーよ、などと見おろしながら瞳を細めて言う様は、まるで毛並みの美しいメス猫のように惹きつけるが高慢で、
その様子をじとっと見ていた岬は、暫し憮然とした表情で、本のページを指差しながら言った。

「そんなお前にやるんだったら俺はこれを選ぶ」


 ■■■


図書館は避暑には最適だが別に、読書愛好家でも何でもない鳴海はすぐに飽きてしまう。
図書館を出れば、あっという間に夏の暑さがむっと全身にまとわりついた。
蒸せ返る熱気にあてられてだらだらと、ポケットに片手を突っ込み、ゆるめたシャツの襟元をもう片方の手でパタパタさせながら目的なくしどけなく廊下を歩く。
昼下がりの日差しが窓越しに強く眩しく鳴海を射した。

その眩しさに目を細め、襟元から手離した片手で眼前から熱線を遮り、誘われるように窓の外に視線を向ければ。
思いがけず。
その先によく見知ったシルエットがあったので、ほとんど無意識に反射的に、自然と鳴海の口角が笑みの形に上がった。


 ■■■


「柚香セーンパイ」

土とスコップと、水を通してくねるホースと、扱うのに苦戦していたタイミングで自分を呼ぶ声がしたものだから、体勢を整えるのに柚香はもたついた。
姿勢を整えぐいと汗で濡れる額を拭い。背の高い茎の間から声の主を探して顔を上げると、ちょうど正面の窓から、窓枠をひょいと軽快に飛び越えて姿を現す鳴海が見える。

「ちょ、そんなとこから行き来したらダメでしょ!」
「えー、だって、」

先輩に早く会いたかったんだもん、と以前は口に出さなかったことも最近はあえて口に出すようになった。ねじくれていた少年が少しの素直さを覚え、成長したものだと誉めてほしいところ。そうして鳴海は彼女との距離感を推して測る。

だがしかし、ハイハイとあっさり流されて今回はあえなく失敗。
試し始めた頃には赤くなったり慌てたりしてくれたもんだが、柚香も負けじと耐性をつけつつあるようで。

ちぇ、と内心口を尖らせながら歩を進めれば柚香の姿は広い向日葵の花壇の中にある。

背の高い向日葵畑の中に埋もれる想い人の姿はそりゃもう当然、可愛い。ズルイくらいに。
その気持ちをにへらと表情にして隠しもせず、頬を緩めて真っ直ぐ柚香を見た。

「なんかセンパイ、向日葵の妖精ちっく」
「…人を学芸会の出し物みたく言うなし」

真顔で返され、あり、褒めたのになー、と伝わらなさに首を傾げるもそれでこそ柚香だ。普段、妙なところで鋭いくせに、こういう事にかけては天然で鈍ちんなのはいつものこと。
気にせず、彼女が重そうに抱えているスコップを替わりに手に取る。そのまま、先輩が土いじりなんて珍しいね、と問えば、
ふと柚香の表情がこそばゆそうに小さくはにかんだりなんかするから、その愛らしさに目を奪われたのも束の間。
先生に頼まれて、とぽつりと落とされる一言。

──はい出ました、先生。

立ち塞がる行平泉水の壁。
柚香の気持ちは以前から充分承知だが、なにも急にそんな顔しなくてもと思う。
その表情をいつか自分に向けてくれないかと日々、あの手この手で奮闘中の鳴海だが、柚香も手強いし、立ち塞がる先生の壁も厚くて高くてとにかく手強い。
面白くなくって鳴海は、おもむろに柚香の頬に手をのばす。

「──土。汚れてるよ」
「あ、ありが…」

不意打ちに戸惑った柚香は、
しかし次の瞬間に自身の頬に得たべチャリという感触で暫し静止する。

「──な…」

事態を理解すると同時、「ちょっと何が汚れてるよ、いま泥つけたでしょ!」と、コラーと声を張り上げ、ベッと舌を出して笑いながら逃げる鳴海の後を柚香は追う。

「もー、子どもなんだから!」

すり寄って来て心を開いたかと思えば、気まぐれに悪戯をしてはスルリと逃げる鳴海。
まるでのら猫でも手懐けているような気分だ。
走れど追えど、当然、鳴海の方が速くて到底追い付けそうにない柚香だが、やられっぱなしでは終わらない。
手元のホースを手繰り寄せると、蛇口をひねり、鳴海に向けて容赦なく強めの放水をお見舞いする。

「だー冷たっ!」

頭から水をかぶって立ち止まった鳴海を見やって、ふふんと得意げな柚香は、にんまりと悪戯返し成功の笑みを深くした。

「涼しくなったでしょ?」
「もー、どっちが子どもなんだか」
「そりゃあ先に仕掛けたそっちでしょ」
「いや先輩の方が子どもだね」

いやいやそっちが、いやそっちが、という不毛なやり取りを繰り返しながらやがて、「そんなに俺の水もしたるたいい男っぷりが見たかったわけ?」と妖しく言い募れば、案の定柚香の容赦ないぐーパンが飛んでくる。
鳴海にしてみれば柚香のそんな反応も可愛い猫パンチみたいなもので。ひらり、と軽く身をかわてみせながら考えていたことといえば、
俺も水ぶっかけ返そうかなとか、そしたら不可抗力で濡れたYシャツから下着が透けて見えるんじゃないとか、およそ邪で健全な男子らしいことだったりして。
そんな邪思考に揺れる天秤はしかし、後が怖いしな、という理性の方が今回は勝利。
併せて、もう一度飛んできたぐーパをン大人しく腹に受けることで、2人の子どもじみた言い合いの勝利も柚香にお譲りする。
そのまんま自然な流れで、花壇に肥料と水を撒く地道な作業の手伝いに移行して、黙々と作業する合間に懲りずに泥をつけて悪戯を仕掛け合って笑い合って、
なんかこれもう健全な学生カップル?ていうかいっそ、隠居した老夫婦?という気持ちになる。
──がしかしそんな楽しく浮かれた時間ほど無常にも長くは続かないものだ。
水を差すように、唐突に二人を呼ぶ声が割り込んだ。


「おーい柚香、進み具合はどうだ? お、てかナルも居たんだな」


ご苦労ご苦労、とじじくさく登場した人物を面白くなく見て、
瞬間的に表情を可愛く輝かせた柚香を見て、つまらなさが倍増する。

「先生、もう戻ってきたんだね」
「おーよ、てかあちぃ、暑すぎて溶けるレベルだわ」

そのまんま溶けて無くなってしまえ、と内心独り言ちる鳴海にもこだわりなくヒラヒラと手を振りながら、
まじでこの世から夏の屋外授業も部活動も無くなりゃいいのに、ともはや教師失格な発言を平気でのたまう、そういう男だ行平泉水。
先生サイテー、とすかさず柚香に突っ込まれるも飄々として気にも留めない、そんなサイテーなはずの男のどこがいいんだろうかと、
残念ながら言い切れないだけ、普段はちゃらんぽらん全開なのに、他のどんな教師よりも自分たちと対等であろうとして、体を張って守ってくれる大人なんだと知ってるだなんて───鳴海は認めない、それこそ一生。それこそ死んでも。

「ちょうどいいや。お前ら休憩にすっぞ」

当たり前のように気前よく手にぶら下げたビニール袋から、アイスだのサイダーだのを取り出しながら、木陰に2人をいざなうこんな教師はほかに見ない。

手ぇ洗ってから食えよ腹下すぞ、だの余計なお世話、だの軽口を叩き合いながら、アイスを手に取る柚香の視線の先には、夏の太陽よろしく馬鹿みたいにくニカっと笑うその男。
──向日葵はその特性から太陽に向かって咲き続ける、太陽神を見つめつづけた娘の化身、などとギリシャ神話では。
アポロンに恋焦がれた向日葵なんて、まるでここにいる柚香そのもののようで。
鳴海はそっと2人から視線を逸らす。


「─、ナル。ナルはどれにすんの?」

ふと覗き込む柚香の顔と声が視界に割り込んで、かぶせて、選び放題だからってか溶ける前に全部食うのノルマ、とわけわからんことを言い出すその男が差し出す袋の中をよく見れば、もともと柚香と先生2人きりの予定だったろうに、アホみたいに種類溢れる色とりどりのアイス。

「…こんなに買ってアホなんすか」
「おま、先生に向かってアホとはなあ、」

食いきる前に溶けるっしょ、と冷静に突っ込む鳴海の横で、まじかぁぁと割りと本気で頭を抱えるこの教師らしからぬ教師を捨て置いて、労働の対価はちゃっかり頂くこととする。


ふと一筋の風が通り抜けて、BGMには蝉の声。
顔を上げれば眩し気に目を細めた先生がしみじみ2人を見ながら、若いっていいねぇ夏が似合うわ、などとおっさん臭いことをのたまっている。

「なんかお前ら、向日葵っぽいよな。髪の毛の色素うすいせーかな。向日葵の妖精ちっく」
「…まじでサイアク。俺の真似しないでくれません?」

え?は?真似?と意味が分からず食い下がってくる面倒くさい大人を無視しながら、吹き出して屈託なく笑う柚香が説明をしだす。

そんな3人の姿を、抜けるような青空と渦巻く入道雲と輝く太陽が見守っている、
とある夏の昼下がり。



 ■■■



奪い取ってひらつかせた本を取り返そうとする岬をからかいながら、目についたのは今の季節を代表する花の花言葉だった。
見るともなく、その由来だの神話だの歴史だのが目に入って。
その内容から、なんとなく鳴海の脳裏に浮かんだのは柚香の姿だった。

皮肉な気分で、するりと目を細めて笑んだ鳴海のからかいのセリフに、真面目な岬は憮然としながら応戦してくる。

「そんなお前にやるんだったら俺はこれを選ぶ」


そうして本を指さした岬が選んだ花もまた、
向日葵だった。




 向日葵の花言葉:あなただけを見つめる、憧れ、情熱

 長性の向日葵の花言葉:高慢、傲慢、光輝






   2つ、向日葵がわらった。