最愛の人が居て。
その人との間には最愛の子が居て。
どちらの方がより大事とか、普通は選べないだろうからきっと苦渋の選択だったんだろう。


母親というものの愛は本来、海より深いと聞いた事がある。


まあ鳴海は母親ではないからというか生物としてなろうにもなれないから、 どうやったってその気持ちはわからないんだけども。
ひとつわかるのは彼女は、その海より深いはずの愛情より、あの人を選んだのだ。
子よりその父親だった人を。
生者より死者を。


何だかそれは彼女の想いの大きさを示してるようで、結局敵わないんだなあと思い知らされるのと同時に、
切ない感情も知る。




「ナル、あんたに1つ言っときたい事があって…というか。あんたにはほんと感謝してる」

かつて不器用だった彼女が、素直にそんな事を言うから鳴海が驚き目を瞬かせたのも当然といえば当然だろう。

「先輩どしたの?急に」

このお酒悪いもの入ってたってかまさかもう酔った?と、大袈裟にグラスを覗く鳴海に違う違う、って手を振りユカは否定する。


「学園に残ってくれてた事についてよ。あとあの子の側に居てくれた事と。 まさかナルがあの子の担任してただなんて色々心配だわ」
「……あれ感謝じゃなかったっけ?」
「まあ両方って事で」
なんスかそれと鳴海は笑って、見てみればユカも同じようにして笑っていた。

その顔をとてもきれいだと、いきなりなくらい再認識して目を奪われる。

視線を剥がさず、というか剥がせず見つめている事を特に気が付いた様子もなく、彼女は喋り続けて鳴海は軽く我に返る。


「よく考えてみたらナルに学園に残ってだなんて言った事、酷かったと思うの。 それからあんたにした事も。自分勝手だとは勿論あの時もわかってたつもりだったけど。 …私はあんたを巻き込まないつもりで、でも充分に私の思いに巻き込んでた」
「――それってまさか言い訳?」

だとしたら先輩らしくもないと、いう表情を鳴海はした。

彼女が生のある未来よりも、死した過去の跡を追い求めた事について、 鳴海が後悔しているかと聞いたらば彼女はきっぱり、後ろは振り返らないと言ったのだ。
だから後悔なんて事も考えないって。
と同時にそのスタンスがとても彼女らしいと思えた。少し矛盾を感じて、それが彼女の愛の深さなんだとまた思って、あー考えなきゃ良かったと辟易とする。


「そういうんじゃなくって。ずっと思ってた事をただ伝えたかったのよ。ああでもそう聞こえちゃってもしょうがないかな。 何で学園に居てくれたんだとかもう聞くつもりはないわ。でも、私はあんたが残ってくれてたから、あの時出て行けたんだと思う。すごくそう思ってる。まあ出てった後もまだナルがそこに居る保証なんてなかったんだけど。たぶん期待はしてなくても、どっかで信じてたわ」


こんな時に信じてたと言われる男の気持ちをたぶん彼女はわかってないだろう。酷い人だなと思った。うかつに期待してしまいそうで、彼女は計算なくやってるのもわかっているから手に負えない。


――甘えた根性だったのよ。


そう言ってこだわりなくほほ笑んだユカに対して、全身を渦巻いた感情を結局鳴海は言葉にできなかった。


甘えてたなんて事は絶対にないように思えた。


彼女はいつも独りで戦って、戦い続けて、逆に誰かにすがりつきたくなった事は ないのかと鳴海は問いたくなる位だ。
…その相手が自分だったら良かったのに。


間違いなく鳴海は強くそう願うようにも思った。
長い時間、彼女の側には自分の愛情があって、それも確かな形を残して、いつか弱った瞬間にでも甘えてみたくなった事はないのかと、そしてこれからも、ないのだろうかって。


無くしていた心を取り戻して色々な感情が付随し沸き起こるから、そうやって鳴海は苛まれる。
忘れていた感情は思い出すたび手に余るから困った。
それが嫌な訳じゃないけれど。だって長い事望んでいたのだ。 だからやっと鳴海は人間らしさを取り戻して、それが故に一から、赤子のように歩き出さなければならない。
今度はちゃんと人らしい苦しみを抱え。



もっと早くに、あんたの想いを返すべきだったと、深く深くユカに謝罪された鳴海はそんなふうに謝らないでくれと思う。
ある意味で鳴海は、それによって彼女を繋ぎとめていられたし。
絶対に返さないし謝らないと主張して譲らなかったユカがそう言うとまるで、 想いを返す事によってあんたはきっと、もっと早くに私を忘れ解放されたでしょう、って諭されているみたいで。
きっと彼女の心に住み続ける、最愛の男は先生だけなんだろうと思い知らされているような気がして。

鳴海はなぜか、目指すべき指標を見失った迷子のように、辛い心地になるのだ。