ラストダンスは踊らない








思い描くまでもなく差は歴然としてるだろう。
これが最後の授業という時に、生真面目にバカ正直に授業をしてしまう教師を蛍は、他に知らないわ、と思う。
とかく、体質受け持ちの某フェロモン教諭みたいな破天荒さだとか、
特力の、急に時空の彼方に消えて行く教師みたいな奇天烈さは別に要らないんだけれど。
根がどこまでも真面目なのかいっそ不器用なのか、そんなことは今更で。
ただしあの、どこか参謀長か女裏番のように君臨する山田先生でさえもうちょっといい意味でゆるくて、
見習えばいいのにと他人事のように思ったことは懐かしかった。
もう終わってしまったことのように。




たとえば特力みたいなクラスならば、今頃お祭り騒ぎなんだろうと想い巡らす。
親友の居るあの、やけに自由でたるんだ感じのクラスのバカ騒ぎの中へ潜入してみれば面白そうで、
そしてきっとこの時間の終わりには、まだ卒業でもないのに絶対に感極まって泣くだろう親友を思うと、あの子大丈夫か しらとか。ああでも、
不本意だがむっつりな彼が図ったようにあの子のところに行くんだろうとか。ならちょっとは邪魔してやろうかだとか。


色々考えて、でも転がっているのは、なぜか大人しくここに、技術の教室に留まっている事実。


室内が寂々として見えるのは、別に感傷でも何でもない。
後輩達が、文字通り技術を駆使して、華々しい送別会の準備をしに行っているのだ。
だが人数が少ないわけじゃない、それでも常より広く見える、事実異常なほど広いこの教室を、色んな機械で埋め尽くして きたことを思って。
技術の発展のために、とか何とか言って脅迫のように、必要以上に充実させてきたここの設備を、この教室を。
やっぱり離れるのは名残惜しいせいか。
純粋に、本能の延長線上のように、心から愛しているんだと思えた。まさに目の前にあるこれらもこの空気も。




ふと、視線を感じて顔を上げれば真っ直ぐ先には岬の姿がある。
ああやっぱりな、とどこかで納得するように思った。
視界の隅に捉えるように見られていただろうことを、逆に何となく捉えていた気がする。
気がするというより、していたのだ。
そんなイタチごっこでもあるまいし。
不意にばからしくなって憮然として、蛍はややおざなりな口調で問いかけた。

「なんですか」
「───いや、」

そういういう、口調の中に、何でもない、という意味を孕んでいるような少し困ったかんじに曖昧な返答だった。
僅かに、苛立ったのは何でだろう。

「見られてると作業に集中できないんですけど」

そのまま相手を振り仰いだ体勢のままで蛍は、真顔で言えば、
ああ悪いな、と慌てた調子で謝罪されて予想だにせずしくり、と胸が痛んだ。
別に人に見られているくらいで集中力散漫になるような細やかな性質でもないなんて、ちょっと考えなくともわかってるだ ろうに、どうしてこの人は自分のつくこういった嘘を丸ごと信じてしまうのだろう。
そういう反応じゃなきゃ困るくせに狡猾に覚える、痛みにも似た何か。
走り抜けたのは罪悪でも何でもないと言い聞かせてやりたい。
バカ正直に身を翻そうとする姿を追って、その人の足元に、ふと自分が散らしまくった部品が転がっていることに 気付て。
どっちのためかわからないけれど兎も角、蹴られるのも蹴躓かれるのも困るから転びますよ、と可愛げもなく一応注意を促す。
気が付き留まった岬が、足元を見てちょっと溜め息をついたのは普段らしい反応で、何となく良かったと思った。
いつもなら気にも留めやしないが。
この人を相手取って探り合うなんて鳥肌が立つことだ。
だからこれで、いつも通りみたいになってそれでいいはずだ。


「先生が派手にすっ転ばれるのを阻止したんですよ」
「───実は面白がってないか?」
「だったら言いませんよ」

すごく納得した、というのを言わずとも表情で物語ってみせる、わかりやすさが変わることはきっとないだろうと思う。

「─で、こんなに広げて何を作ってるんだ?」
「某大富豪に依頼されてる、短時間で効果てき面なダイエットマシーンなんですけど」
「へえ…」
「将来のために先生もお一つどうです?特別に顔利きで割引しますよ──ざっとこのくらい」


こんな時でもちかりと金銭に瞳を輝かせた蛍が、どこから取り出したんだか、さっと持ち上げられたその電卓に打ち出された値段を 何となく岬は見る。
有り得い高さに、あのなあ、と浅く息をついて、それでも何処かしょうがないなというような淡さをその表情に忍ばせて見た。
岬もまたいい意味で蛍のこういった部分は変わらないんだろうと思っている。
そんなことは知らないけれど、
彼のどこか草花に向けるような表情を人間に向けることの意味を、蛍はきっと知ってしまったような気はしていて、 そしてどうしようもなかった。
そのくせに、彼女のことを、決して才もある可愛いだけの生き物のような面倒くさい見方をしないことに、たくさんとは決して言わない。 でも少しだけ。ほんの少しだけ安堵もしていた。



───たんたんと過ぎていった時間の中にチャイムの音が鳴る。



戻ろう蛍ちゃん、と呼ばれて振り返る。
とっくに片付けも済んだ手を止めて、もう一度だけぐるりと室内を仰ぎながら
きっと惜しいのはここだけだと思い込む。
さようなら、とかありがとうございました先生とか、言いながら生徒が次々教室から出て行くのを見た。
ごくあっさりとした生徒はそんなもので、
名残惜しむ者は涙を浮かべた女子とか照れ隠しに絡もうとする男子とかが後に残るんだろう。
少しずつ生徒が減っていくなかを、
真っ直ぐに、蛍は岬の目を見つめた。
やはり岬も蛍をじっと見ていた。
確認すると微かに笑んで、ただ。
さようならとだけ。
ゆっくり告げると教室を出て歩き出す。
最後に視界の隅に入ったのは案の定ふざけた男子たちに揉みくちゃにされている岬の姿で、それすらすぐに見えなくなるが 振り返ることもない。




ああ、と短く返し小さく笑んだ岬も、それを見た蛍も互いに確信めいて感じていた。
一瞬の中に、決して誰も気取ることがないだろう暗黙の了解にも似た、一つの事実として。






ああこれで、終わったのだと。









別人だらけ!