Bitter SprinG
じりじりと静かに火が燃えるのにも紫煙が立ち昇ってゆく様にも実際鎮静作用があると思う。
とはいえ苦いばかりで別段好んでいるわけでもないそれ、ゆるくけむる正体の白、
つまりはくゆる煙草をふかしたりなんかしながら、翼は。
まあなんていうかこういうのはポーズだ。ポーズ。
いやいや別に格好つけてるわけじゃございませんけど。
あいにくとクサってる奴らがクサった時に吸う気持ちだけは、わかってしまったため。
だからこうして、校則違反も上等で現実逃避を謀る。
そしてなんとなく脳髄が麻痺していくような無気力な感覚に身を委ねて。
あーてかこうしてる間にも、肺黒くなってまずい病の素取り込んで脳みその細胞減って、
えっじゃあおれこれ以上バカになんのかやばくない?
とか何とかおおかた他人事のようには考えてでもどうでもよくなった。
とりあえず困るのは将来で今じゃない。年を取ればそりゃあ持病の一つは二つや三つ
出てくるだろうが。でもあいつは。まだ自分含め、あいつも。
おれたちは十と数えるばかりしか生きてないっていうのに。
短期間だけどまた退院できたよと笑うあいつの顔は、少しずつやつれているような気がした。
顔を合わせてそうと、口には出さなかったけれど。出せなかったけれど。
それくらいショックで。皆も隠そうとしながら、本当はそんな顔をしていた。
だって確かにあいつは最初から線の細い女みたいな奴で。
でも間違っても薬を常用するように弱くなかったとよく知ってるのに。
言葉なく、アリスの人権が何だと心底赫怒した。
あいつをあんな風にしたのはこの学園だ。
だからすぐに行動に出た。
即ち得たのはキュートでオシャレな罰則印。
…要するに笑えるほど簡単に返り討ちにあったわけだが。
──結局、ここに居るのはただの負け犬なわけで。
汚ねー大人の権力に虫みたいに捻じ伏せられて、親友一人も守れなくて。
遠吠えの吠え声も出ずに、女々しくもいけ好かない学園内の人目のない場所で、
ただただ腐ったように燻ぶっている。
「てか、おまっ翼!何やってんだよっ」
「うお…!」
それはさすがに不意打ちすぎて、ビックリと手元が狂ったせいで手の中の
煙草が排水溝の内に吸い込まれるようにして落ちた。
不可抗力的な証拠隠滅である。
だが明らかに目撃されている。
まあ、相手が相手だから、いいと言えばいいんだけども。
いや、正直言えば今見られたくなかった気も。
げー美咲じゃん、と翼が言えば呼ばれた美咲はひょいと片眉を吊り上げた。
「げーって何だよ、ってかお前、今煙草吸ってたろ」
信じらんねぇいくつ罰則印増やす気だよ。とか言う美咲にまさか
心配してんのと答えれば呆れてんだよと彼女らしい言い分がテンポよく返る。
「つーか風上に立つな。臭う」
「いやいや今吸ってませんて」
「でもぜってー臭ってるからあんま寄るなよ」
「…へいへい。てか何で美咲ここ居んの」
「てきとーに歩いてたらお前の方が居たんだよ」
うわマジで、偶然?
こんな人来ない場所でうっかり会うなんてむしろ運命とか?
って後者の思考は言わなかったがわりと迂闊に喜びながら思った。我ながら
この辺救いようもないよなあと思う。馬鹿な男なのだ。おそらく。
「あのな、かっこつけだか知らねーけど」
「ん…は?」
「煙草だよ、煙草。あんまそうスパスパしてっとお前、そのうち殿みてーに髪形センターパーツになるぞ」
「ゲエーまじでか」
おっさんあれいつかハゲそうだもんな、ヤベー。だいたい伸ばしてんのは
ごまかすためだってあれ。だとか顔合わせて笑い合いながら言って。
だが話題も止んでしまえばどこか不自然な沈黙が降りてくる。
その訳もお互い誤魔化し合ってることも本当はよくわかっていた。
「…いつもなら、」
先に口を開いたのは美咲の方で、ン、と声ともいえない声で翼は返事をして。おおかた続く台詞も知っている。
「ここで、いくらなんでもそれはないよ、とかかなめが突っ込んでブレーキかけるんだよな」
「…だな」
…やっぱさー、かなめ居ないとダメだよな。
そう言った美咲の真摯な横顔を、翼は何となく直視できず避けた。
こんな時に見当違いにも疼く胸のもんの、
やり場を手持ち無沙汰になくす。かなめの役割を翼が果たせるわけじゃない、
というかそういうことを望んでるんじゃなくて別に。美咲が、
そう言う気持ちも嫌というくらい。賛同できるから尚更に。
わからなくなるのだ。
かなめの創ったベアの作り上げた小屋が、
まだまだ秘密基地じみてたあの頃。三人でバカやってたみたいに、
またなれたらいいのにと言う美咲は戻ることを望んでいる。でも翼はそうじゃなくて。少なくとも、
進展することを望んでいたはずだった、けれど。
結局何も変えられなかった無力な自分は今、果たして進みたいのか戻りたいのかわからない。
見せしめのように目の下に付けられた罰則印のことを、かなめが知った時の顔は忘れられなくて。
何を言おうが笑い飛ばそうが、あいつは勝手に、自分の責任だと思って抱え込み続けるんだろう、って。
だってそういう奴で。
一番笑い飛ばしてくれそうな殿内のおっさんはただただ、何ともいえない目をしただけだった。
その上やり方が若いなって、そう同時に言われて正直イラッとした。要は図星だったのだ。
どこかで変に楽観していた。猪突すれば何かはきっと動くと。
甘かったのだ。学園は――大人の世界は――そう甘っちょろくはなくて。
だから若いんだよと言われるのは頭じゃ理解できても受け付けたくない。
情けなくて辟易した。何かが鈍化していくのをものすごく良しとしたい、
投げ出したくなった。なのにそのくせ。ひょっとしたら、遙か大人になれば、
もっと自由に思い通りになるんじゃないかと、根拠のない幻想を抱いて、懲りずにまたどこかで楽観する。
結局は気にしあっていた、翼もかなめも。
気の置けない親友なことに、変わりないのに。
そんな翼に、ある時美咲は言ったのだ。バカ言えお前のそれは友情の証だろう!って。
珍しくくさい事を真面目に怒鳴った美咲にその時、本当はどれだけ救われたかなんてこいつは知らないだろうけれど。だからやっぱり、進展する未来を望むとしたら一番はこいつがいるせいだって、思うことも当の美咲は知りもしないだろうけれど。
学園に対する不平も疑心もこの先絶対的になくならない。
特別なものは異質になりうるから、守るために学園は存在するんだときれい事吐いてじゃあ何で。
各々の能力を将来のために磨けという、なら、かなめの、おれら三人一緒の未来は何処へと。
考えればまた腹の底の感情が煮え返ってどうしようもなくて。こんな
くそみたいな学園に身を置かなきゃいけない自分にまた悉く吐きそうになる。
けれどどう足掻こうがよっぽどがない限りあと、5+α年はここから出られやしないから、
きっと信じてる、一緒に過ごしてく仲間だけを思って折り合いをつけていくんだろう。
昔、家に帰れないと知って泣くのをやめたあの時そうしたように。
「お前さあ何一人でクサってんの」
「――いや何っても」
「勝手に、一人で突っ走るなよ」
その一言に、思わず顔を上げて一瞬きょとんと呆けて。
漸く、美咲も気にしていたんだと。そんな当たり前の事実を新しい事のように気が付いて
オウ、と短く翼は応えた。例えば実は美咲には傷付いてほしくないと思ってる、それが翼の本心だとしても。
だからそのせいなのかどうか、翼の事をじっと見てくる美咲の目は、何かを
懸命に見透かそうとしてるみたいに妙に真面目で。おかげで別のことが
ばれるんじゃないかと翼は無意味に少し焦った。いやきっとこいつはそれに
気付いちゃくれないんだろうけれども。それはそれで凹むんだけども。
何だかやけに決まり悪く手持ち無沙汰になって、
制服のポケットにごそごそ手を突っ込んでくしゃくしゃになったケースを取り出した。
火の点いた煙草を見た美咲はおいおいとまた顔をしかめてみせる。
「お前それ学校に反抗のつもりか?」
いや反抗っていうかそうはっきり言葉にしちゃうと何かおれかっこわりーな、と渋る心地で反射的に苦笑い。
「頭に血ィ上らす前に精神落ち着けんの。健康的っしょ」
「はあ?だったら泣き喚く方がよっぽど健康的だろーが」
まさか美咲の前で泣くなんてそれこそそんなかっこ悪いことできるかよと、
思った事だけは死んでも言わないだろう。
ていうかけむい臭い、副流煙の方が体に悪ぃんだけどと
声を上げた美咲は手を大きくぱたぱたさせる。おーわりーわりーって
慌てて立ち位置を変えようとして、気を逸らした途端。
何か気が付けば手の中の物が無くなってた。
でもって美咲がそれを持っていた。
「あたしも反抗に便乗するよ」
そう言ってニマリと悪戯に笑って。
危うい手つきの割に大胆に煙草を吸い込んだ美咲はこれまた大胆にげほげほとむせこけた。
「おいおいおい美咲サン!?」
さすがの翼もおたおたしながら何やってんのと涙目の美咲に慌てる。が、
まあ気丈な美咲は、何だこれ人間の吸うもんじゃねーって眉根を厳しく寄せて、
お前こんな人外のもん体に入れておかしーんじゃねーのとけなして揶揄する、
それから軽快にぽいっと足元の排水溝の中に投げ捨てた。
「いや捨てんでも」
「お前の禁煙に協力してやったの。感謝しろよ」
だいたいあたし煙草吸う奴好きじゃねーんだよ、とそう、
翼から遠ざかるように足を踏み出した美咲は、じゃーなと言い捨ててすぐに駆け去った。
残された翼はついていけずに呆然として、
いや好きじゃないとかマジで?っていうか自分も吸っといて
何言っちゃってんのとか。考えてみたら今の間接キスじゃんとかあれこれ思って。
とりあえずもう煙草は不必要だなとまじまじ考えた。