4.ボーダーライン





たとえ人を誘惑する能力があったとしたってそれにどれ程の 意味があるんだろうと実は鳴海は思う。 そりゃ色々ともう役に立つこともあるけども。でも本気で人の心を捕らえようと思った時、 かりそめの空しいものでしかないというのは、使用する本人がよくわかっている。嫌でもよくわかっていた。
とか前に、何かの折でそんな事を言ったら、それを聞いていた岬は大いに引きつった顔をした。 おまえにも常識があったのかって。
まあ常識とか道徳とか、その辺のことは鳴海にはそうでもよくて、 そういう事を飛び越えてあの人の事を思う。
冗談でメロメロにされてみる?なんて言ったことはあるけれど、 現実に間違って力を彼女に使ってしまおうものならその後きっと殺されるよなー っておかしく思う反面さびしくなるのだ。そんな危ない橋を渡るつもりはもちろんなくても、 鳴海にとって彼女との関係はあまりに大切過ぎたから、 これを失ってしまわないように他の方法で繋ぎとめようとしていた。
つい最近の粗相の修復に。

とはいえ別にそんなすごい事じゃない。ただの体当たりだ。 どんなに無様に見えてもそれしかないと思うほど、鳴海のポーカーフェイスの裏側は実は必死だった。





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その頃外をぶらぶら歩いていた柚香も、丁度鳴海に抱きつかれた事の意味を考えていたわけである。 考えていた、というより、その前後を考え合わせても。さすがにこういう事にかけて鈍い彼女でも その意味をわかりかけていたのだけども。ただそれがどこまで本気なのかどうか、 相手があの鳴海だから同時に頭も悩ませる。
もし本当のところを真っ直ぐにつきつけられたなら、 柚香はそれに対して真正直に答えるしかないだろうと思っていた。そうするのが柚香だし、 他にどういうやり方があるのかも知らないし。
その後で関係がぎくしゃくしてしまったら、それまでだって、 柚香が考えたかどうか、その前に聞き慣れた声が彼女を呼んで振り返った。

「ユ〜カ先輩っ」
「わ、ナ──」
ル、と続くはずだった言葉は、驚きと急激に背中にかかった重みで音にならず消える。
「だーもー!あんたってほんと神出鬼没ね!」
「そりゃあ俺、ユカ先輩アンテナ立ててるから☆」
「人を妖怪アンテナで感知したみたく言うなよ」
ていうか重たいからのけ、と鳴海の腕を振りほどいて、 柚香はあっと気がついた。今回はあっさり振りほどけたと。
鳴海も同じことを思ったのかもしれない。
神妙な雰囲気が戻ってきて、昨日の事態と思考がスクロールする。
どうしようかと思うより早く、鳴海が言った。
「先輩の前で吐かなくて良かったわ〜俺」
やっちゃったら先輩に殺されたよねと、笑っている鳴海を見て柚香は一瞬理解しかねるように停止したあと、 拍子抜けというか気力のない顔になる。
「…どんだけ飲んでたのよ」
「あーかなり?よく覚えてないけど」
「覚えてないんかい」
なんだ、と思うと同時に何だか妙に、絡まれたことを思い出して柚香はムカムカきた。 そのノリで鳴海の頭を一つはたいとく。
「イテテ、えー酷いな〜先輩、今のは何で、」
「何でもよ。だいたいもろ未成年のくせに飲酒して捕まっても私は知らないからね」
顔を背けてさっさと歩く柚香に対して小走りに、覗きこむようにして鳴海は追いついて。
「え、ひょっとして俺のこと心配してる?」
アホかと、突っ込んですぐに、いつもの調子に戻っていると柚香は気づいた。
妙にホッとすると同時に、複雑な気分がじわりと滲む。
実は、それは彼女自身のせいではないにしろ友達が多いとは言えない柚香だから、 そのぶん仲間を大事に思っていることも鳴海は知っていたのかもしれない、って。
そのため、柚香を困らすボーダーラインを踏み越えなかったのかもしれないと彼女が気づくのは、 もう少ししてからだった。