月に一度、示し合わせた訳でもないけれど決まった曜日には二人はその店で顔を合わせる、大方彼女が先に居て彼は 後からやって来た。彼女は来るのをやめようと思えば思えばいつでもやめられて、彼は彼女が来ようが来まいがきっ と来るのをやめない。
その日も例に洩れず彼女───柚香が先にカウンターの隅に座って居る姿を認めた鳴海は、彼女の無言で意固地な 主張──あんたが居ること期待して来てるんじゃないわよ──をまるで体現してるみたいな飲み姿から汲み取って 密かな笑いを押し隠す。
そうして腰掛けるのは一つ間を置いた隣の座席。
この間を鳴海は決して埋めようとしない。
それが何故なのかなんて柚香の知ったこっちゃないし聞くのもなんか負けた気がするというかむかつくのでしない。
そして自分から埋める気だけは死んでもない。


暫く何を頼んだのかと思って見ていれば鳴海の前に出されたのはこの男のフェロモンに見合ったピンクだとか紫だと かのやらしい色彩じゃなくて、透き通るブルーのカクテルだった。よくわからないけれど意外な気がした。鳴海はい つも、柚香の思惑を裏切って何かしら一つ、意外な側面を晒す。そう思って刹那逃げたくなる。
つん、と涼しいその色合いは矢鱈と鳴海に似合っている気がして。柚香は目を逸らした。


「そういえばちょうど5日前が岬せんせーが誕生日だったんだよね」
「─へえ、岬くん。懐かしいわね」

ふと声に引き戻された柚香は、鳴海がへらりとも(にやにやとも)いえる顔をしてるのを見て軽く呆れ返った。 いかにも何かしでかしましたみたいな顔をしているのであえて何も聞かないでやる。何も聞く前から岬くん可哀相に とだけ思っておいた。序でちょっと聞いてほしそうだった鳴海は物欲しそうな顔をした。

「何かしたのとか聞きたくない?」
「全然ないわね」
「えーそこは聞いて下さいよ」
「全くもって断ります」

ええそんなに?と笑って実はまあ優しい僕はプレゼントをあげたんだけどねと結局しゃべりだすのを聞いてまた 柚香はちょっと呆れてみせた。鳴海が言うにどうやら自前で特性のフェロモン香水(名前はスティールミーだと か何とか言っていた)をあげたらしい迷惑にも。

「でも使ってくれないから今日こっそりふりかけて来たというわけ」
最終授業大変なことになっただろーなといたって愉しそうに言うこの男を見てやっぱりコイツ悪趣味だわと柚香は 心底実感した。教師が同僚の邪魔してどうすんのよ、とも。思ったけれど、突っ込みはしなかったけれど。

「そういえば誕生日っていうと昔僕のだけ祝ってくれなかったなあ、特力」
「あんたそもそも特力じゃなかったでしょーが」
「そうそう、昔も先輩おんなじこと言ってた」
「──そんなことまで覚えてないけど」
「僕はよく覚えてマスよ」

そう言われて何となく柚香は絶句した。先輩との思い出は特にと嫌味でもないがニッコリ言われて二度沈黙。




これだからこの男は喰えないのだ。






冗談にできない辺りが、なんとなく憎らしい、というか後ろめたさが這うこの感情。
わかっててやってるのだろうかと思う。些細な違和感。
そういうこともこういうことも、とりとめのない会話の中にわざと溶解させて、お互いそういう会話が復たできる ようになった距離には気付いてないつもりでいる、たぶん。
例えば"返せ"と裡に望まれてるのだとしても知らんぷりして。
目の前で光を透かしてゆらゆら揺らめく、鳴海のとは対照的なカシスの紅を柚香は手に口にした。
このとろりと咥内を流れ落ちる感触を、この時ばかり何よりも愛するのだ。
そうして只管あおってみてでもうまく酔えない日は空しい、酔ってしまいたい、でも本当に酔えば隣で浴びる程 飲んでも素面然としてる男のせいで結局は空しい。
ただこうして飲んで飲んで、酔って酔っ払って何か任せてしまいたいとでもいうのか。


─── 一体何をよ?











       ●









地下から這い上がるようにして這い出た地上の空は低くくぐもっていた。すっかり暗くなって薄ら寒い、何だか 危なっかしい足取りで階段を上がってきた柚香は外の空気に腕を抱えるようにして組んだ。
手を貸そうかと思った鳴海だがそこで男の手に縋らない柚香はなんだからしいなあと思う。
そうやって一人で突っ張って立って生きようとする姿勢が。意地とか、ここまでくるとそういった類のものは ひょっとしたら凌駕してしまってるのかもしれないと思う逞しすぎて。
でも鳴海は違うなあと思った。


「先輩」
「なに」
「送って行こーか?」
「いいわよ、あんた反対方向でしょ」


聞いたものの、とはいえ鳴海は柚香が何処まで戻って行くのかを知りはしない。
知りたくないかと言えばそれは勿論嘘になるけれど、ただもう昔とは違うので。いつかのように酔いにかこつけて ちゃっかり送り狼、とかそんなシチュを期待なんてしないし。もはや。
そんな風に──そんな風にもう恋情にかられることはない未来の自分にどうしようもなくひやりと恐くなることは あるけれど。
でも抱えて生きていかなければならない前提の重しなんて、だって誰でも持っているものだろう。そんな自分に 馴染んだとは言わない。でも慣れた。慣れるものだ。そして彼女を、恨みたいのかどうなのか、とっくに自分でも わからないので。
一つだけ頭で理解できることがあるとしたなら彼女は彼女なりの「正義」と「事情」があるってことで、おそらくは それが彼女の重しなんだろうと。でも正直、気に留めてなどいられない。だっていつだって、実は目の前のことだけ で手一杯なのだ。
だからただ、こうして紛らわすように飲んだ時間がこの後、日常の戦いの中に戻ってゆく彼女の少しでも支えになれ ばいいとは、思う。純粋に、鳴海は思った。


「とりあえず先輩はおイタ過ぎることしちゃわないよーに、もう若くないんだし?」
「くそ腹立つわね!だいたいおイタって何よ、おイタって」
「ん〜、これ職業病的な口癖?」


おどけるような口調でわざと言って、一瞬の間を置いて何よそれと、反動的に返された声は思いの外すぎる事に頼りなくて、だからさすがに驚いた みたく鳴海は目を上げた──だいたい何で教師やってんの?と。そう、口走っていたことに柚香はしまったと思う。頭の一部は冴えて いるつもりなのに、思考の大部分に靄がかかったみたいでああ自分はこれだけ酔ってるとこの時になって情けなくもはじめて気づいた。
だがもう取り消しようもない。聞いたことは取り決しようのない事実として、柚香の胸を巣食っている疑問だった、でも同時に触れてはい けない事項だったのだ。それは隙になりえて、こんなふうに隙を見せるつもりじゃなかったのに。

「そういう先輩こそ、」


聞き返された台詞に押し黙る、言葉をつかみ損ねた、わけじゃなかったけれど。

「……先に聞いたの私でしょ」
「でも俺も聞きたかったの」
「そっちはどーなの」
「そーゆー先輩こそ」
「──あのね」
「何か小学生みたいなやり取り、これ」

ははっと笑った鳴海は観念したみたく軽く両手を挙げて、思えばいつだって先に折れるのは鳴海の方だったと気づく、 そのくせ妙に余裕があるみたいな鳴海の様に、こいつはいつからこんな風になったんだろうとやけに柚香は途方に暮れた。 十年越しに再開したあの時だってこんな風じゃなかったはずだと辿った記憶がうつろに告げる。
それは、と急に割り込んだ鳴海の声で柚香は、ふいに引き戻されて結局は鳴海を見遣った。

「もう教師冥利に尽きちゃってるからかなー」
「…教師冥利?」
「いっそ天職みたいな?」
「──」
「なんていうか先輩みたいな、目が離せない生徒が居るから尚更目覚めちゃった感じだな」

一瞬どういう意味なんだろうと考える。そんなふうに言われて湧き上がった複数の、感情のどれもはうまく口には出すことが できずに。
ただ素直に、誰のことかだけわかって感想は述べた。

「なんか腹立つわ」
「それ、ママ的発言?」
「……あんたって」

いちいちやな奴ね、と誉めた訳でもないのに、狙いすまして当たったみたいに鳴海は悪戯に笑った。

──そういう先輩こそいつまで今のことを続けるんだと、
さき程聞いてきた質問だって狙いすまされたと思う。

故にそんなこと、と、今更、と叫びたいような気持ちになるけれど、理不尽な思いに焦がされそうだけれど、そんなこと は言えない。というか言っちゃいけない赦されないとわかってるのだ。
本当は。


何も知らない、ただの夢見る少女は、愛する人を失って戦う戦士になった。


それが自分の選んだ道だから。縋ることなんてできなかったし頼ることも甘えることもできなかった。生きる術だった。優しくて柔らかい ものは拒絶するしかなかった。そういうものに身を心を許した瞬間に足元が崩れてしまうんだと、わかっていたのだ、やってけなくなってしまう、と。 そうやって只管走り続けてもう、もはや身に着けた剣も鎧も脱ぎ捨てる手を持たない。
だって喩え──喩え今自分が踏みしめている結果が間違いで失敗だと思っても泣き喚く資格なんてない、全て為してきたことへの負うべき 責めなのだと知っている。


「もういいんじゃないかな」


って、俺は思うけど、でもまあ決めるのは先輩か。
と、急に困った子どもを相手にするみたいに鳴海は言って、困った風に笑う、なんていう奴だろう。 なんていうタイミングでそんな事言うわけと意味もなく柚香は責めたくてなじりたくなった、別にこいつが悪いわけじゃないのに。
そう本当にこいつはなんにも、悪くなんかないのに。
でもそうでもしないと保てなくなるじゃないのよとそう思って。

──保てなくって、いったい何が?



「あのさ、先輩、俺思うんだけど」


さらりと、何にも括られないみたいに立っている鳴海を、それでも柚香は黙って見ていた。
それ以外に方法が見つからなかったのだけれど。




「俺たち結婚しない?」


「────はっ?」




流石に一瞬聞き違えたんだろうかと間抜けて思う、だって今、こいつ何て言ったの?
いちいち驚きが大きすぎると理解も記憶も受け付けないんだとこんな時に無意味に知った、
でもだって。でもだってを反芻してやっとのこと返事をする。


「……ナル、酔っ払ってんの?」
「いや、めちゃめちゃシラフだから」
「…冗談なら面白くないわよ」
「すごい本気だけど」
「─私何か聞き違え」
「こんな時にだけそんなボケいらないって」
「ボケってなによ…」

ははっと笑った鳴海はそれでも真摯な顔で柚香を見るから、妙に逃げられないという気分になった、と知る、 何からかなんて知らないけれども。

「男女の友達同士で、お互いいつまでも結婚できなかったらしよう、て約束して本当にした人も居るらしいよ」
「それはまた…夢がない話ね」
「ていうか信じてなさそうだからもっかい言うけど、結婚しない?」
「────」
「──、」
「──ってか、何でそうなんの?」
「俺にしてみればごく自然の流れなんだけど?」
「わかんないわよっ、言うけど、私とあんたは約束した友達同士でも何でもないわよ。てか付き合ってもないじゃない」
「そりゃ今の話はものの譬えだし。じゃあ順序を踏んでお付き合いから」
「…何か、そういう問題なの?」
「よく、二番目に好きな人と結ばれた方が幸せになれるっていうよ」
「あんたのこと二番目だなんて言った覚えないわよ」
「センパイさすが手厳しい」
「あのね、そうじゃないでしょう。だいたい、あんたは私のこと好きかわかんないでしょう?なのに何で」
「つまり、不安?」
「疑ってんのよ!」
「それは、返してくれればちゃんと判るよ」
「───そう、結局それを言いたかったわけ」
「そりゃあ勿論。なきゃボクら始まんないし」
「………」
「でもそうだな、結局俺、先輩にそっくりな子がタイプだと思うし、先輩そっくりな感じが」
「──さっきから引っかかると思ってたんだけど。あんたそれ、あの子に手出したらただじゃおかないわよマジで」
「じゃあさ、試してみる?俺の一番が誰か」


そこまで言ってふうわりと笑った鳴海を見てただ、ああいつの間にこんな風に笑えるようになったのかと漠然と柚香は思った。


「それに俺、どんなことがあっても先輩が好きだって確信したことあるんだよねー昔」


そう悪戯めいてでもどこか確かな響きを持ってそんな風に鳴海が言うから、
心中がじっとりと湿りを含んだみたいに柚香は泣きたいんだか、それとも笑いたいんだかわからない気分に侵さ れて、何だか弱った。

本当になんて奴よ、と再び思う。
もう充分なんじゃないかな。お互い自分の足で立ててるし。そう言う鳴海に、
本当は柚香はずっとどこか依存していたんだろうと今更になって悔しいけれど気づいたのだ。
色んなものを捨ててきた、まして自分の子どもさえも、アリスから色んな危険から遠ざけたかったとはいえ、自分のエゴで手放した 事実に変わりなくて言い訳なんてできなくて。
だから尚更、突っ立って、走って行くために生きてくために、何よりも後に引けないと 思わせてくれたのは、人として何よりも大事なものを奪い取ってしまった、まさに鳴海の存在であったのだ。


(もう充分なんだろうか……先生)

問いかけというよりは独り言のように、胸の内で呟く、解決すべき問題なんて山積みだけれど、けれども。



──ふいにりんりんという涼しげな、外界の鈴虫の羽音がした。それに気づいて、こんな都会の雑踏に鈴虫なんて居たんだと 関係ないことをちょっとの間脈絡なく耽った。



何だかまるで全部が嘘みたいなのに、
でもりんりんと鳴く鈴の音だけが異様に近くて、
そのことが何よりもリアルだと知らせている。今がリアルだと。



お互いまた今度という言葉が存在しないことは知っていたし、いつもそれに代わる言葉を見つけようもなかったし、 なのに本当は少しずつ動いていて。
おそらくこれから変わっていくんだろうと、漠然と、けれど実感めいて、今。そう感じてしまった。本当になんてことだろう、 なんてやつなんだろう。



どうする?と、案外悪くないかもよと笑うように言う鳴海を前にして柚香は、見つめ合った。
そうして思う、ああきっと本当は、思うより前から、下手をしたら盗み取ったあの日から、






もう、答えなんて出ていたのだ。



















酔いの勢いでしか動かないだろう、みたいな
ナルが男っぷりという名の心の広さを手に入れたとき二人はくっつくんです
とにかく二人がくっつくとしたらこんな感じだっていうMOEでかきなぐり出して結果ひいひいいいました 突っ込み所多すぎる笑…